秘境アフリカ 貧国「ニジェール」唯一の日本人
私費8,000万円で病院を作り…貧しい人を救う72歳外科医

昨年末に放送されたテレビ番組において、アフリカの最貧国ニジェールで、私財を投げ打ち病院を作った日本人外科医の方を取り上げていました。※テレビ東京『世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~』(2013年12月16日放送)。貧しい国の医療、特に地方医療の実態の一面が理解できる内容でしたので、 番組内容に基づき、ご紹介したいと思います。


日本からアフリカの秘境・ニジェールに行くには、「日本→フランクフルト(ドイツ)→カサブランカ(モロッコ)→ニジェール」という経由で、乗り継ぎの待ち時間を含め、日本から計約25時間かかります(ルートによって時間は異なります)。

ニジェール共和国は他民族が混在する共和制国家です。1922年~1960年まで約40年間フランスの植民地だったため、公用語はフランス語で統一されています。ニジェールの面積は日本の約3倍もあるのですが、人口は日本の8分の1の、わずか1530万人しか暮らしていません。というのも、国土の約3分の2がサハラ砂漠だからです。それゆえ、首都ニアメから1時間ほど車を走らせれば、野生のキリン、ライオン、アフリカゾウ、カバなどが生息するアフリカらしい原風景が今でも広がっています。
(写真)ニジェールの首都ニアメ
出典:commons.wikimedia.org

ニジェール最大の問題は「医療」です。ニジェールでは、お金がなかったり、近くに病院がないため、すぐ治療が受けられず病状が悪化してしまう人が多くいます。

ニジェール市内で最高の医療を誇るニアメ国立病院は、診察を待つ患者で溢れかえっています。地方からたくさんの人が押し寄せます。そのあまりの人の多さのため、病院の外でござをひいて待つ人までいます。救急患者が運ばれてきても、すぐには対応できず、順番待ちの状態です。

医療施設数をニジェールと日本で比較してみると、日本の医療施設は約10万施設を超えるのに対し、ニジェールには約2500施設しかありません。人口と医師の割合では、日本では約500人を1人の医師が診るのに対し、ニジェールでは約5万人を1人の医師が診ます。WHOの調べによると、医師の割合は世界156ヵ国中153位。医師不足も深刻な状況なのです。また、日本のような保険制度が整っていないため、医療費は患者が全額負担となっています。支払うことがとても困難なため、病院へ行かない人がほとんどだと言います。

ニジェールは砂漠が多く土地が痩せているため、 経済の発展も進んでおらず、世界屈指の貧国の一つとなっています。
(写真)ニジェールの「アイル・テネレ自然保護区」
出典:commons.wikimedia.org


ニジェールは国民の48%が1日100円以下で生活しています。 そんな貧困が原因となり、窃盗や強盗が頻発。外務省が発表する渡航情報では、ニジェールは危険度が4段階中、最も高いと判断されている地域がほとんどです。また、ニジェールを取り囲んでいる国々は今すごく情勢が悪化しています。 ニジェールのすぐ横にあるマリでは、国際テロ組織が激しく反政府活動をやっています。リビア、アルジェリアでは、日本人が巻き込まれたテロ事件も起きています。そうした状況がニジェールの貧困をさらに押し込めています。


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在留日本人はJICA(国際協力機構)と政府関係者を除けば、なんとたった1人だけ。ニジェールに住む唯一の日本人こそ、日本人外科医その人なのです。日本人外科医がいるのは、病院が多い首都ニアメではなく、そこから東へはるか780キロ離れた場所にある秘境の地「テッサワ」です。

テッサワは人口約3万人の昔ながらの面影が残る小さな町です。住民の方に日本人外科医について聞くと「ドクター・タニ」と呼ばれ、ほとんどの方が知っていました。

番組スタッフが病院へ訪れると日本人外科医は手術中でした。1時間後、日本人外科医の谷垣雄三さんと面会。御年72歳。谷垣さんは、日本各地の病院で外科医として第一線で13年間活躍。しかし、1979年、ある理由から日本でのエリートの道を捨て、医療状況が厳しいニジェールに、38歳のとき単身でやって来たと言います。そして、私財8,000万円を投げ打って、21年前に自ら病院を建てました。現在、院長兼外科医として現地の医療スタッフといっしょに働いています。パイロットセンター(病院)の面積は、約1ヘクタールで東京ドームのグラウンドとほぼ同じ。ベッド数118床、看護師3名、医療スタッフは4名が働いています。病院を建てる前の10年間を合わせ、実に30年以上もの間、谷垣さんはニジェールの人々の命を救い続けているのです。それなのに、ある理由からこんな理不尽なことを言われてしまうのです。

お前のやっていることは、けしからん。
谷垣、追放だ!

なんと谷垣さん、かつてニジェールから追い出されそうになった危機があったのです。自分の半生をニジェールの人々のために尽くしてきたにもかかわらず、「追放だ!」と言われるに至ったある壮絶な過去がありました。一体何があったのか?その謎を探るべく谷垣さんに密着することに…。

番組スタッフが谷垣さんの回診に同行したのですが、そこには日本では考えられないような症状の患者が数多くいました。


3歳の子どもがひじを骨折したのですが、結果的に壊死により腕を切断することになりました。地方には医師がおらず、素人同然の人が応急処置をしたのですが、骨と骨の間に血管を挟んだことに気づかなかったために、左腕が壊死。もともとはただの骨折。地方医療がしっかり整ってさえいれば、切断せずに済んだと言います。
(写真)ニジェールの子どもたち


ガリガリに痩せてしまった少年。ある理由から食べ物を一切食べられなくなってしまったと言います。実はこの少年、とある事件の被害者だったのです。少年がタクシーに乗ったところ、その運転手が強盗で、痛めつけられ、身ぐるみはがされ、最後には硫酸が主成分の車のバッテリー液を飲まされたと言います。

谷垣さんはこう言います。「来たときには動くことも歩くこともできず、3日間点滴をして、やっと歩けるようになったところで、内視鏡で狭窄部(詰まったところ)を通り抜けて食道を拡張することができた」

硫酸が主成分である車のバッテリー液によって、食道、胃が焼けただれてしまった状態。さらに、食道が炎症を起こし、詰まっていたそうです。そこで、谷垣さんは内視鏡を使った手術で、詰まった食道を奇跡的に広げることに成功。この技術は、日本でも腕のある医師のみができる非常に難しい手術だったと言われています。それでもまだ容態が悪化するようなら、胃がんの手術のように部分的に胃を切除するしかないと言います。

谷垣さんの手術回数はパイロットセンターだけで10,000件を越えているそうです。谷垣さんは手術を1日に多い時で、午前中3回、夕方2回、計5回行います。


この日も谷垣さんは、鼠径ヘルニア(いわゆる脱腸)の手術を控えていました。患者は50代後半の男性。 実はこれから始まる手術では、日本の常識では考えられない貧しいニジェールの人を助けるためのある工夫が見られると言います。

谷垣さんは鼠径ヘルニアの手術で、紐で患者の腕と足を固定します。これは麻酔が切れたときに、身体が動かないようにするための工夫です。一見するとひどいことをしているようですが、実は患者さんを思ってのことなのです。最貧国、ニジェールの人はお金がなく、高額な手術費が支払えません。そこで様々な工夫をし、手術費を限界まで下げる努力をしていたのです。「麻酔は非常に高額なため、予定している手術時間のギリギリの分しか払えない。でも手術はして欲しい」という患者の要望を受け、実際に麻酔が切れたということは一度もないのですが、患者を安心させるためにあえて紐で手足を固定します。

コスト下げる工夫①
手術の予定時間ギリギリの麻酔投与。

脱腸はももの付け根を開き、飛び出した腸を戻すというのが一般的な手術。しかし、今回の患者は病院に来るのが遅かったため、飛び出た腸と皮膚がなんとくっついてしまっていたのです。日本ではかなり珍しい状態ですが、谷垣さんは全く慌てません。皮膚とくっついてしまった腸をメスでほどいていきます。

順調に進められていく手術。そこには、最貧国ニジェールで手術を受けたいと思う患者のため、ちょっとでもコストを下げようとする谷垣さんの涙ぐましい様々な工夫が隠されていました。

コストを下げる工夫②
質の良い日本製台所用ゴム手袋で代用

通常の手術用の手袋は非常に高額なため、
質が良くて安い、日本のゴム手袋を使用していたのです。

コストを下げる工夫③
縫合で使用する糸はミシン糸で代用

手術用の針付き糸はとてつもなく高いのです。
一般の市場で売っているミシン糸で代用します。

コストを下げる工夫④
縫合で使用する針は研いで殺菌し繰り返し使用

縫合で使用する針は1回1回研いで、最後まで使います。

手術時間30分。脱腸の手術は終了。
予定通りの時間で無事成功しました。

このように手術用の手袋、針、糸は正規の物ではなく代用品を使用。 もちろん、これらは全て医学的には問題はなく、安全を考慮したうえで行っています。今回の鼠径ヘルニア(脱腸)の手術費は日本では6万円かかるのに対し、パイロットセンターでは4000円で手術が受けられるようになりました。

その他、コストを削減する努力は他にも見受けられます。

コストを下げる工夫⑤
手術で使った台所用ゴム手袋は熱で殺菌し、使いまわす。

殺菌する際に、ゴム同士がくっつかない様に日本の新聞紙を挟みます。

コストを下げる工夫⑥
殺菌する際の新聞紙は丈夫なので繰り返し使う

日本の新聞紙はとても丈夫なので、繰り返し使用します。

コストを下げる工夫⑦
点滴の中身は手作り
点滴の中身は実は病院内で手作りしていると言います。日本でもニジェールでも、点滴の中身のベースは原則として塩と砂糖と蒸留水。※日本の病院ではさらに「ブドウ糖」などを加えたものを使用しています。日本で購入すると150円ですが、材料費だけなので5円で済むのです。

コストを下げる工夫⑧
日本のタオルをガーゼ代わりなどに使用

日本のタオルは通気性が良く、丈夫なため、手術道具の下に敷いたり、ガーゼ代わりなど多岐にわたって活躍しています。タオルや新聞紙などは、谷垣さんを支援する日本の団体が送ってくれたものだそうです。日本からの支援を受け、ニジェールの貧しい人々が「病院に行ってもいい」と思えるぐらいまで、コストを削減することに成功したのです。谷垣さんの工夫と日本からの支援により手術費を安くできているのです。

谷垣さんはこう言います。「 あらゆるのもが代替品で出来るのかどうか、 そういうことを全部確かめた後で、地方でも住民の年収(1万円)で外科が維持できるかどうか、それが最終的な目的なんです。」

年収1万円以下の貧しい人々でも、診察や外科治療を受けられる病院を作り、一人でも多くの命を救いたい。それが、谷垣さんの思いなのです。

谷垣さんがやっている病院は、経営状況はギリギリだと言いますが、それでも貧しい人々のために日々頑張っていると言います。

ある患者さんはこう言います。

心臓が悪くてここへ来たの。
ドクター・タニの噂を聞いて、ナイジェリアから来たわ。


谷垣さんの腕の良さは隣の国ナイジェリアでも有名で、患者から絶大の信頼を得ています。

谷垣さんの自宅は、いつでも病院にかけつけられるように、病院から車でわずか5分の場所にあります。広さは2LDK。電気・水道・ガスを完備。ここでもう何年も一人暮らしを続けていると言います。自炊が基本の谷垣さん。この日の食事は玉ねぎを入れたおかゆとなぜかフランスパン。なんと取材陣の食事まで用意してくれました。谷垣さんは朝6時から夜7時まで一日の大半を病院で過ごし、また休みを取らず、365日24時間、病院のことばかり考えていると言います。そんな日常の全てをニジェールの人々を救うためだけに捧げている谷垣さん。

1941年、京都府京丹後市に生まれた谷垣雄三さん。幼い頃から正義感が強く、曲がった事が大嫌いで、いつもみんなのリーダーでした。成長するにつれ、困った人を助けたいと思いを持つようになりました。その思いから医師を目指し、信州大学医学部へ入学しました。1960年代は学生運動真っ盛り。谷垣さんも学生運動に参加しました。医学部卒業後に無給で働かされる制度に反対したのです。大学を卒業する頃には、インターン制度が廃止され、谷垣さんは医師免許を取ると、大学病院に残るエリートコースを拒み、町の病院に勤務。いち早く現場に出る道を選び、その後は町の病院を転々としながら、整形外科、胸部外科、腹部外科、麻酔など様々な仕事を経験し、現場で外科医としての腕を磨いていきました。29歳の時に学生運動のときに知り合った静子さんと結婚。勤務医として働きながら、家庭も築き、ささやかながらも幸せな日々が続きました。人生の転機は38歳の時でした。その時、谷垣さんが見つけたのは…海外勤務医の募集。ニジェールで石油会社が専属医師を捜していたのです。日本の医療制度に疑問を抱いていた谷垣さん。

自分が困っている人を助ける場所は海外なのかもしれない。

一端そう思うと、もう気持ちを抑えることができず、奥さんを説得。

1年半だけの滞在だ。すぐ戻るよ。

戸惑う奥さんを説得し、谷垣さんは単身ニジェールへと旅立ったのです。しかし、そこで目にしたのはあまりにも遅れた悲惨な医療の現場でした。その頃(1970年代後半)のニジェールには日本の3倍の広さの国土に、たったの7つしか医療機関しかなく、国全体でもメスを持てる外科医はなんとたったの3人だけ。日本とはまるで違う弱者に厳しい現状を目の当たりにした谷垣さん。1年半の勤務を終える頃、その胸に湧き上がってくる強い思いがありました。

こんな中途半端な状況のまま、ニジェールの人々を見捨ててもいいのか。

1年半の勤務が終わり谷垣さんは一旦帰国しましたが、再びニジェールへ行くことを決意。今度は本格的な移住を考え、現地語のフランス語を猛勉強。しかし、一番の問題は奥さんをどうするかでした。悩みに悩んだ末、奥さんに告げた言葉は…。

今度はいつ帰ってくるか分からない。

すると妻は…。

私も行くわ。そんなこと、あなたと結婚したときから分かっていたことよ。

こうして2年後には今度は夫婦そろって再びニジェールへ。まず初めは、首都であるニアメの国立病院の外科医として勤務になった谷垣さん。そこには衝撃的な放っておけない光景が…。

ニジェールの地方にはほとんど病院がなく、そのため、遠方から運ばれてくるときには、ほぼ手遅れの状態。

目の前に患者がいるのに何もしてあげられない。

谷垣さんは何度も悔しい思いを味わったと言います。この状況に、谷垣さんはある確信を持つようになったのです。

この国の医療を立て直すためには、地方医療を充実させるしかない。

その思いを胸に、気づけば、10年間走り続けていたのです。しかし、ここからが本当の波乱の始まり。とんでもない悲劇が谷垣さんを襲ったのです。

谷垣さんがニジェールに渡って10年が経つ頃、一向に減らない地方から来る悲惨な手遅れの患者達。谷垣さんは自分の立場を捨てる覚悟で、ニジェール政府に地方医療の改善をすすめる提言書を提出。

しかし、ニジェール政府の答えは…。

「この国で先進国のような事を言われても困る」

とつき返されてしまったのです。

しかし、あきらめない谷垣さんはあっと驚く行動に出ます。

谷垣さんは言います。
「ニジェールの地方外科を発展させたい。それが目的なんです」

谷垣さんがやったこと。それはなんと、私費約8000万円を投じて自ら病院を建てること。その病院こそが「パイロットセンター」。直訳すれば試験病院。谷垣さんは外国人ということで、正式な病院を作る許可が下りず、その代わりに、試験病院ならOKだいうことで政府の許可が下りたのです。谷垣さんの願いは一つ。ニジェールにないに等しかった地方での医療環境を整えること。その第一歩として、首都から780kmも離れた辺境の地テッサワで開業。そして、地方の貧しい人たちのために、可能な限り安く、安全に外科医療を受けられる病院を作ろうとしたのです。台所用のゴム手袋や手作りの点滴など全てはコストカットにより治療費を安くし、多くの貧しい人たちが医療を受けられるようにするためでした。

谷垣さんが一人でこなした年間の手術件数のメモが残っていました。手術の回数は、初めて5年後にはなんと900回近くに…。毎日3回も手術にあたる激務の日々。こうして、ようやく現地に根付いた外科病院が誕生したのです。

しかし、そんな矢先、谷垣さんに突然の不幸が襲いかかります。

それは突然の妻の死でした。最愛の妻が現地の風土病にかかり、原因不明の高熱で苦しんだ末、亡くなったのです。享年65。早すぎる死でした。とんでもない失意が谷垣さんを襲ったと言います。妻の死を忘れようとするかのように、その後の谷垣さんはますます病院の仕事に没頭。まさに身を粉にして、患者の治療に邁進する毎日でした。ところが、そんな谷垣さんに3年後、追い打ちをかけるような信じられない出来事が起きたのです。

――病院は国家で運営することとする――

なんと私費8000万円をかけて、10年間も心血を注いできた病院が政府の物になってしまったのです。

遠い異国の地で愛する妻ばかりか、病院まで突然失ってしまい、茫然自失。抜け殻のようになってしまったのです。

そんなときに谷垣さんのもとに届いた声がありました…。

ドクタータニ。治療をやめないでくれ。
タニがいなくなったらニジェールは終わりだ。

それは谷垣さんを必要とするニジェールの貧しい人々からの悲痛な叫び。この声が、谷垣さんを抜け殻から奮い立たせます。

谷垣さんはこう思ったのです。

私を必要としてくれている人たちがいる
絶対に救わなければ。

そこで谷垣さんは再びメスを握り、それだけではなく、ある行動に出ます。日本で支援を募り、お金を集め、なんとまた新しい病院を新たに建ててしまったのです。そして、それこそが現在運営しているパイロットセンターだったのです。2007年、谷垣さん66歳での再出発でした。

自分が動ける限りはこの地で、人々を助けることを続けていきたい。
これが谷垣さんの口癖。

遠いアフリカの秘境。ニジェールの貧しい片田舎に根を張り、人々の心に希望の光を灯す、一人の日本人外科医がいました。


番組の最後で、「医療に国境という概念は一切無い」と言っていた戦場カメラマンである渡部陽一さんのコメントが印象的でした。番組を観ていて強く感じたことは、谷垣さんの謙虚な姿勢です。人を救ってやってるんだ…というような高圧的な態度は一切なく、静かな人だけれども、心の内にはとても熱い志を持っている印象を受けました。

唯一、気がかりなことと言えば、谷垣さんが72歳と高齢なので、谷垣さんの意志を引き継ぐ方は現地におられるのかなと思いました。看護師から京大の教授になった田村恵子さんについての記事でも書きましたが、後継者問題というのは大きいと思います。ある人物が優れていたとしても、その優秀な人がいなくなってしまったら、以前の状態に戻ってしまうというのは残念なことです。読売新聞の記事(2009年10月20日)によると、谷垣さんはテッサワで実践してきた治療方法などを含め、これまでの活動記録をまとめた報告書を国連機関に提出する予定だと、2009年の時点で述べています。後継者の問題についても、何らかの対策はきっと既にしているのかなとは思います。

また、番組では触れられていませんでしたが、読売新聞の記事(2009年10月20日)によると、先進国の援助で医療費が無料の時期がニジェールにはあったそうですが、無料なだけに、無駄な検査や薬の過剰な処方が目立ったそうです。谷垣さんはニジェールの医療が本当の意味で自立するには、患者からの収益で運営できる病院を作らなければならないと考えたそうです。ただ、そうは言っても平均年収が1万円のニジェールなので、谷垣さんはなるべくお金がかからない治療を模索し始めたわけです。そういう経緯を知ると、単純に物や金銭を支援し続ければいい…ということでもないようです。もちろん、日本の支援やそのほか様々なサポートがあったうえで、谷垣さんも医療活動が行えるのだとは思いますが、支援される側の「本当の意味での自立」を考えなければ、本当の支援にならないのかもしれません。

谷垣さんを支援しているロータリークラブのホームページ

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